委員長・キャプテンだった人間と、ずっとヒラだった人間のその後

子供の頃、委員長やキャプテンをすることがすごくかっこ良いことだと思っていました。

忘れもしない、小学校4年生の時。
初めてクラスで『委員長』という存在を選ぶことになりました。

何の気なしに、私も立候補しました。

圧倒的な投票差で落選。
私に投票されたのは3票。
うち、1票は自分。

トホホ

クラスの中でも目立つ存在でもなく、かと言って煙たがられているわけでもなく、フツーの存在。

なるほど。
私は皆の代表や上に立ってけん引していく人ではないのね。

残念に思ったことと、「ですよね」と妙に納得しました。

その後、特に立候補することはなく、『ヒラ』街道を突き進みました。

バルニューダのトーストに付いてくる5㏄のカップ、地味だけどないと困る。

 

時は流れ・・

現在に至るまで、キャプテンや委員長的な存在になったことはありません。

仮に近いポジションになったとしても、サポート役のもう一人が仕切っていたと思います。

 

近年親しくなった周囲の方の中に、『ザ・キャプテン』だったんだろうな~という方がいます。

テキパキとした話しぶり。

好き嫌いもハッキリしていて、発言が少し強めの時がある一方で、頼れる存在でもある。

その方と話していた時、

私「ずっと、キャプテンとか委員長とかしてたんじゃないですか?」

キャプテン「うん、そうですね。部活はキャプテンで、委員長とかもやってたかな。」

やっぱり。
万年ヒラの私からすると、キラキラした人生だったんだろうな~と。

キャプテン「でも、最近、どんどん目立つことを避けたくなってきたんです。譲って後ろから付いて、皆をサポートする方が性に合っているかも。」

私「またまた~そんなことないでしょ。」

キャプテン「いや本当に。自分に視線がくることが、苦痛に感じる時が多いです。」

意外です。
部活は全国大会常連校でプレーしていた彼女。

私の知らない壮絶な挫折の繰り返しがあったのかもしれない。

キャプテン「ぽにさんみたいに会社の代表として出張や学会に赴いたり、プロジェクトを引っ張ったりみたいな仕事って、私には荷が重いわ。」

私「いやいやそんな!」

その場は濁したのですが、

あれ。
いつの間にか何か違う方向になってる?

 

入社したての私は、希望していた研究所に配属され、丁寧に取り組んだつもりです。
ところが数年して、他部署に異動になりました。

技術系の部署ですが、最初はショックでした。

でも、腐るわけにはいかないと、小さな案件も真摯に対応したつもりです。

ちょっと前に、部署に残してあった数年前の報告書を引っ張り出してきた時、報告主が細かな実験をして着実に報告していることに感銘を受け、誰だ?と名前を見たときに、自分の名前が印字してあったことにビックリしました(同時に忘れている自分にもビックリしましたが)。

『ヒラ』も積もれば山となる

どうやら、万年ヒラでも信用は得られるようです。

最近、仕事で前部署の研究所に提言することも多くなりました。
必要とされていると嬉しくなり、やりがいも感じます。

委員長やキャプテンといった華やかな経歴はございません。

ただ、大人になると、いろんな受け皿が用意されているようです。
決して平等ではないですが・・

おそらく委員長やキャプテンの投票を募っても、昔と変わらず私への票は低いままでしょう。

もう、残念には思いません。

「自分への投票、気にしなくてもいい日が来るかもよ」
と小4の自分に小さく胸を張るこの頃でした。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

10数年前の入社当時は、バリバリ系(自称)を目指してヒジ張って働いていました。 メディアに紹介され、優秀な女性として会社の重要ポストに・・と本気で考えていました。 現実は全く違い、自分の中で上々の結果だと思っても平凡な評価。現実と理想の違いに悶々とする日々。 結婚、自らの転勤、DINKSを経て、待望の子供を出産。 2回の育休を取得し、現在4歳、6歳の育児中。 もうすぐ3人目の出産を控える。 約50平米、賃貸マンションを何とか快適にと模索の日々。 夫婦共に技術系総合職、 お互いの実家は遠方(完全核家族)、 バタバタの育児、 主人は早朝(繁忙期は5時)に出社、 夫婦共に遠出の出張も・・ どこまでいけるか奮闘中の共働家、ともばたけ!