おばあちゃんが危篤になった件

先日、母からラインが入りました。

おばあちゃんが危篤。

いつまで持つか分からないので、病院にこれたら見に来てあげて。

うん。

いよいよか。

孫の私が40半ばなので,

おばあちゃんといっても、それはそれははかなりの年齢です。

いつどうなってもおかしくないのも分かる。

 

あのおばあちゃんのことだから、私に一目見に来い!挨拶ぐらいしろ。と化けて出るかもしれません。

ということで、車で1時間ほどの病院に駆けつけることになりました。

 

祖母は、関西でも『大都会』と言われるエリアに暮らしています。

周囲には信じられないほど高いビルが立ち並び、ここは近未来都市か!というくらい美しいエリアです。

ほら、よくあるじゃないですか。

ビル街にポツンと建つ昔ながらの戸建てって。

それが祖母のお家です。

 

祖母と私は、

旅仲間でもあり、買い物友達でした

中高生の頃は、買い物が苦手な母ではなく、

祖母とよく祖母のお家から自転車でデパートやショップに行っていました。

旅も祖母と一緒に行きました。

フランス、ハワイ・・私が社会人になってから一緒に各所を回りました。

というより、私の一人旅に、

どうしてもついていきたい!

と言い出したのが祖母です。

 

旅行は20年くらい前かな。

祖母が70代中ごろの時に二人でハワイでバーガーを食べたり、パリ散策もしました。カフェ巡りも、姉の結婚式の二次会用のドレス探しもそういや祖母としました。

 

70代になっても、健康ならば海外にいけるんだ!めっちゃ歩くやん!

と思ったのも祖母がいたからです。

 

ただ、ルーブル美術館の真ん前で、

祖母がフラーと倒れかけ、

「血糖値が急激に下がったみたい。チョコレートちょうだい。」

と言った時にはビビりました。

その時に祖母が糖尿病を患っていたことを初めて知りました。

元気!というハッタリをかませば、

孫にルーブル美術館まで連れて行ってもらえるんか!

と思った記憶がございます。(なんて孫!)

チョコレートを食べた祖母はすっかり元気になり、ルーブルを回った後、オシャレな帽子屋さんで麻生太郎が被るような帽子を買いました。

いたく気に入り、形が崩れないように帰りの飛行機は被ったまま乗っていました。

 

祖母は、

働いたことのない女性でした

今の時代では考えられないことです。

ただ、それが彼女の自慢でもあり、一種の誇りでした。

祖母の時代、混沌とした戦前戦後の時代にお嬢様のように育てられた母は、女学校卒業後、花嫁修業をしながらお見合い。とコースが決まっていたとのこと。

そのため、私には、「おばあちゃんはお勤めしたことがないから、あんたの苦労は分からんけど・・」とよく言われました。

いやいや。

おばあちゃんは、お見合い後、癖の強い義母と4人の義姉のいるお家に嫁ぎ(祖父は5人兄弟の末っ子ですが長男!)、大変な苦労をしたようです。

 

そのため私が結婚しようと思う・・という話をした時、

開口一番、

長男?次男?

と聞いてきました。

「ううん。三男。

と答えると、

「よっしゃ!結婚しておきな!」

と祖母には珍しくガッツポーズで祝福されました。

そういや、父や母よりも先に結婚のことを話したのも祖母でした。

 

そんな祖母が、危篤です。

うん。

病院で細く、血管が浮き出てガリガリになった祖母が横たわっていました。

手を握り、おでこにもう一つの手を当てて、

「お待たせしました。待望の孫、ぽにがきたよ~~」

と目を無理やり開けて、話しかけました。

朦朧と意識のない祖母でしたが、

無理やり目を開けさせられて、

鬱陶しそうでした。

 

初夏は祖母の大好きな季節。

もう一度、目が開けられたらいいな。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

10数年前の入社当時は、バリバリ系(自称)を目指してヒジ張って働いていました。 メディアに紹介され、優秀な女性として会社の重要ポストに・・と本気で考えていました。 現実は全く違い、自分の中で上々の結果だと思っても平凡な評価。現実と理想の違いに悶々とする日々。 結婚、自らの転勤、DINKSを経て、待望の子供を出産。 2回の育休を取得し、現在4歳、6歳の育児中。 もうすぐ3人目の出産を控える。 約50平米、賃貸マンションを何とか快適にと模索の日々。 夫婦共に技術系総合職、 お互いの実家は遠方(完全核家族)、 バタバタの育児、 主人は早朝(繁忙期は5時)に出社、 夫婦共に遠出の出張も・・ どこまでいけるか奮闘中の共働家、ともばたけ!