3人目の産後の現実【外出自粛も重なって・・】

「3人目の産後、本当に気を付けて。」

妊娠中に何人もの助産師の方に言われました。

今回の妊娠は、

  • 3人目
  • 出産時40歳を超えている
  • 里帰りをしない

ということもあり、産後の疲れが取れにくいかも・・とのこと。

「疲れが長引くか、ドッとくるかもしれないからね。」

はいはい。

分かりました。

でも、出産も3回目なので何とかなります。

大丈夫ですよ。

と思っていた私。

 

年末も年始もバリバリ仕事。

長男や次男の時よりも産前休暇を積極的に取得せず、働いていました。

会社員としての『信頼貯金』残高と投資

産前休暇取得前に書いた記事です。

なぜギリギリまで出勤したか。

理由は、

仕事がノッテいたから

 

そして、思っていた以上に体調も良かったのです。

ガラス

ザッジャパンな企業に、入社しておよそ15年。

内定当時、『イケてる研究員として、メディアに載ったり、注目されたらどうしよ。キャー』なぁんて思っていました。

そんなことは一切なく、自分では上々の出来と思った課題は可も不可もない評価。

そもそも、キレッキレの思考回路を持たない人間。理解力や集中力もフツー。いや、下手したらポンコツ寄り。

研究部門でも花形のテーマは頂ける訳もなく、二番煎じ、三番煎じの出がらし、ニッチみたいな仕事しか回ってこない。

 

入社した時から決まっているのだ。

 

エース級の案件は、ポスドクや博士課程修了者がかっさらっていく。

そりゃそうだ。

出身研究室も大御所の素上のしっかりした人、即戦力になり、入社1日目からダッシュができる(一方の私、1日目からスパイクの履き方すら分からない・・)。

 

それでも・・

いつかは面白い案件がくるかもしれないと目の前の仕事を淡々をこなしました。

失敗も沢山しましたが、自分に出来ることを確実に積み上げていきました。

 

徐々に小さな信頼も得て、規模は大したことなくても、面白いテーマを手繰り寄せ始めました。

そんな、5年ほど月日が経ったある日。

突然、通達がきました。

 

研究職ではなく、全く違う技術部門へ異動

 

そっか・・

転職を考えるも時は2009年。

リーマンショックの大打撃を受けた転職市場には、『あと1~2年早かったら、いっぱいあったんですけどね』という環境。

結婚を控える私は住居の変更が難しく、当時住んでいた田舎から通える転職先は通勤時間が長過ぎて、断念しました。

 

同じ企業に残り、他部署に異動。

 

新天地では、信用を得るためにも必死で働きました。

同時に、なかなか妊娠しない体質にも気がつき、4年ほど不妊治療に苦しみました。

 

そんな中、

待望の妊娠。

1人目出産、復帰をしてから2人目の妊娠。

2回目の育児休暇が終了した2016年夏の終わりから、仕事におけるエンジンをかけ始めました。

全く違う分野に首を突っ込み、駆けずり回りました。

 

プログラミングにも手を出し、自分では出来ないと思い込んでいた数学の世界にも飛び込みました。

信じられないことに、マニアックな社員が役員の目に留まり、新しい社内プロジェクトのリーダーに任命されました。

初めての社内リーダー、大抜擢だったのに、失敗したかも・・

 

自らの技術テーマも以前のような出がらしではなく、身に余る大きなテーマを頂けることになりました。

苦節15年。

やっと、サラリーマンとしてやりがいみたいなものを感じていました。

 

他方、

家庭では、朝も夜も基本ワンオペ。

保育園は延長ギリギリでお迎え。両親遠方のため、全てを自分と子供達で回し、息つく間もない生活。

西へ東へ新幹線で出張。

疲れてボロ雑巾のような日々。

 

それでも、『やりたいテーマをやっている』と自覚と誇りもありました。

そんな中。

3人目妊娠

幻の妊娠 -①夫が育休取得となるまでー

3人は欲しかったので、心の底から嬉しかったです。

 

子育てを楽しみたい。

 

でも、仕事もやりたい。

 

欲張りなのは重々承知ですが、今度は育児休暇を夫と途中で交代することで、キャリアも繋ぎ止めようとしていました。

プロジェクトリーダーは他の方にお譲りし、ギリギリまで引き継ぎを行い、出産に臨みした。

 

第三子は健康で生まれてきてくれました。

こんなにしあわせなことはないです。

子供達も本当にありがとう。

 

そんな中、コロナショック

出産して1ヶ月以内で登園自粛要請。

乳児だけでなく、4歳、6歳のお世話も同時にすることになりました。

 

***************

「数値が良くないですね。」

2週間検診、3月の始めくらいかな。医師に告げられました。

産後、とある内臓の機能を示す数値が悪く、

「無理はしないこと。とにかくゆっくりして」と口酸っぱく言われました。

 

ただ、コロナの混乱でヘルパーさんを呼ぶことも出来ず、他府県の親を呼ぶことも難しく、私の体調は低空飛行を続けました。

だましだましで何とか運転する日々。

4月も中頃に入ったある日。

 

朝から立てず、手を握るとそれだけでしんどい日がありました。

これ、大丈夫かな。

予定では、6月1日から職場復帰。

あと1ヶ月と半分でこの状態を克服できるのか?

 

えっ。

・・無理やろ

 

子供との外出自粛もいつまでか分からず、夫もコロナで車を使用。

いざと言う時に車に乗せて、どこかに避難…も難しくなりました。

 

しんどい、

しんどい…

 

フラフラの日々が続きました。

次回に続きます。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

10数年前の入社当時は、バリバリ系(自称)を目指してヒジ張って働いていました。 メディアに紹介され、優秀な女性として会社の重要ポストに・・と本気で考えていました。 現実は全く違い、自分の中で上々の結果だと思っても平凡な評価。現実と理想の違いに悶々とする日々。 結婚、自らの転勤、DINKSを経て、待望の子供を出産。 2回の育休を取得し、現在4歳、6歳の育児中。 もうすぐ3人目の出産を控える。 約50平米、賃貸マンションを何とか快適にと模索の日々。 夫婦共に技術系総合職、 お互いの実家は遠方(完全核家族)、 バタバタの育児、 主人は早朝(繁忙期は5時)に出社、 夫婦共に遠出の出張も・・ どこまでいけるか奮闘中の共働家、ともばたけ!