【体験談】アデノウイルス結膜炎で視力低下!角膜の白濁と再発に悩んだ治療記録

いつも読んでくださっている方、すみません。今回は検索エンジンを意識した記事とさせてもらいました。

その名も「アデノウイルス 結膜炎 視力低下」で検索してきたあなたへ。

この記事は、私が実際にアデノウイルスにかかって視力が落ち、大学病院まで通うことになったリアルな体験談です。
笑えそうで笑えないドタバタ劇を交えながら書きますので、同じ症状で困っている方の参考になれば幸いです。

発端はまさかの保育園児からの感染

2025年3月。保育園の年中の三男がアデノウイルス結膜炎にかかりました。
目が真っ赤!登園はもちろんNG。夫と交代で仕事を休み、なんとか看病の日々です。

ようやく治って一安心と思ったら、今度は私と夫に感染。夫婦そろって目が真っ赤。
仲良しにもほどがあります。ただ、ここからが長い戦いの始まりでした。

症状と診断「視力が落ちた!角膜が白い?」

眼科に駆け込むと、夫はすぐ回復。しかし私は赤みが引いた後も眩しさ・視界のぼやけが残りました。
検査をすると、2.0常連だった私の視力が0.8と0.7に。ガーン。

医師いわく「角膜に白い斑点状の濁りが出ています」とのこと。原因はそれか…。
生活面では、パソコン作業で誤字脱字が激増。Teamsでは別人を招待するポカまで。いやいや、これは社会人としてアウトです。

車で送迎していた保育園も、夫に代わってもらうか、バスで時間をかけて送迎するか…。とにかく大変でした。
保育園の最終学年だったので我慢できましたが、まだ年月が残っていたら転園を希望していたと思います。

近所のママ友に相談すると「評判の良い眼科に行った方がいい!」と強く薦められました。
そして行ってみると、やはり全然違いました。

角膜の写真を撮ってもらい、白濁の証拠写真を見せられました。
「これがあなたの視界を邪魔しています」と言われ、なるほど納得。ここからサングラス主婦ライフが始まりました。

再発!そして大学病院へ

しばらくして「完治」と言われたのに、数週間後にまた視界がぼやけ…。
ちょっと赤いくらいだけど、目やにも出ない。けど見えにくい。これぞ不思議体験です。

例の先生が「大学病院に行きましょう!」と紹介状を書いてくれました。
紹介状を持って大学病院へ。

大学病院って、本当に混んでますね。朝8時前に着いたのに診察が終わったのは13時。
待合室はお年寄りだらけで「日本は本当に高齢化だな…」と余計なことまで考えてしまいました。

診断はやっぱり角膜の白濁。しかも先生からは「今年はウイルスの型が変わり、同じ症状の人が多い」と説明が。
なんてこった。

ここからは、

  • 目薬を長期で使う
  • サングラスをかける
  • アイメイクを禁止する

という生活へ。マスカラもアイシャドウも全部捨て、新しいものに買い替え。もう目元はすっぴんです。
でもそのおかげで少しずつ回復し、今ではかなりクリアに見えるようになりました。

まとめ:アデノウイルス結膜炎は油断禁物

私が学んだことはシンプルです。

  • アデノウイルス結膜炎は「赤い目」だけじゃなく視力低下や再発もある
  • 原因は角膜の白濁で、完治には時間がかかる
  • 専門医や大学病院で診てもらうと安心
  • サングラス・目薬・アイメイクの見直しが地味に効く

もしあなたが今「なかなか治らない」「視界がぼやける」と悩んでいるなら、早めに専門医を受診してください。
そして生活の小さな工夫も侮れません。私の体験が少しでも役立てば嬉しいです。

お大事に~~。

みなさん、ぼちぼちいきましょうか。

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ABOUTこの記事をかいた人

10数年前の入社当時は、バリバリ系(自称)を目指してヒジ張って働いていました。 メディアに紹介され、優秀な女性として会社の重要ポストに・・と本気で考えていました。 現実は全く違い、自分の中で上々の結果だと思っても平凡な評価。現実と理想の違いに悶々とする日々。 結婚、自らの転勤、DINKSを経て、待望の子供を出産。 2回の育休を取得し、現在4歳、6歳の育児中。 もうすぐ3人目の出産を控える。 約50平米、賃貸マンションを何とか快適にと模索の日々。 夫婦共に技術系総合職、 お互いの実家は遠方(完全核家族)、 バタバタの育児、 主人は早朝(繁忙期は5時)に出社、 夫婦共に遠出の出張も・・ どこまでいけるか奮闘中の共働家、ともばたけ!