親世代が当たり前にしてくれたことってありませんか?
- 小学校から帰ったらお母さんがいる
- 幼稚園では、おゆうぎ会の衣装などを作ってくれる(母が)
- お母さんが家のことを何でもしてくれる
- 持ち家(戸建てやマンション)を持っている
- たまに外食に行く
- 年に何回か家族旅行をする
うん。
我が家、前半4つは全然ダメ。
3人の子供全員、幼稚園ではなく0歳から保育園です。
上の子達は小2、小4になった今、朝も夕も鍵っ子です。
もちろん共働きですし、私はたぶん普通の人(男女関係なく)よりも出張が多い人間です。
夫は土日出社も結構ある。
そうなると、
昭和や平成前期に当たり前だった『日本の家族のフツー』が、
全然できていない
ちなみに夫婦共に、在宅勤務皆無の職場。
なんなら、どーしても前半4つがしたければ、後半の2つ、
- たまに外食に行く
- 年に何回か家族旅行をする
は完全に諦めることになります。
我が家の生活コストだと、夫の給与だけでは立ち行かない。すぐに破産します。
毎月赤字のおーまいごっと。
何とか赤字を防いでいるのは、
私の労働と子ども達の鍵っ子による恩恵が大きい(と思うんだけど、マイペースに転職した夫よ。どう思う?)
(夏に家族でシンガポール旅行にいけたのも子供達のおかげです)
一方で、
親世代と同じようにしてあげられない悔しさも葛藤ももちろんあります。
学校から帰った時に「おかえり~」って言いたいですし、
毎日学童に行っているのもお家で見てあげられる日があってもいいかな~なんて思ったり。
ただ、
親世代の生活って、もう日本に来ないんじゃない?
とも思ったりします。
あんな、父親だけが異常に働いて、
母親は家のことをして、
分業によりそこそこ上手いこと?家庭が回って、
母は父の所業が嫌でも経済的に不安があるので離婚はできなくて、
近所の人達もほぼ一律で、
何とな~くみんな中間層な気分になっていて・・
という生活って、今後くるのかな?
これからは、
母親も父親も働き、お互い家のことも子育てもする
方向に、なるんだろーなーって。
まぁそれも多岐に渡るか。
とてつもない資産家だと、夫婦のどちらかが昭和的に家庭に入るのも良き。
そうでない家庭は、デフォルトで共働き。
子どもが小さいと、在宅勤務が可能な職種が人気になるだろうなぁ・・
うーむ。なるほど。
まぁ、とりあえず!
個人的にモヤモヤしているのは、
『自分が育った環境で当たり前だったことを子ども達にさせてあげられないこと』
だったりします。
一方で、
我が子達にしてあげられないこと、
彼らにとって『親にしてもらっていない日常』は、
これからの日本の当たり前かもしれない
- 両親が働く
- 保育園、学童はデフォルト
- 常に鍵っ子
- 習い事などは全て自分で支度をして行く
- 親戚や祖父母が近所にいる訳ではない
こうなると、子ども達が、求めるあれこれも変わってくる。
特に、お家に関しては、
駅や学校に比較的近く、お部屋は広すぎない方がいい!
という思考に。
広いお家に引っ越そうか?と言っても「広いお家は怖い!窓とかいっぱいあったら嫌!」と反対されます。
50平米マンションに5人暮らしですが、鍵っ子はちょうどのサイズらしい。
昭和・平成初期に幼少期を過ごした私は、
お家に母が常にいるのもあり、個室が欲しくてたまりませんでした。
お姉ちゃんと2人部屋だったことにも若干不満。
これも当たり前の『家に母がいる』からこその発想だったかも。
そういや、二段ベットを買ってもらって、自分の空間が出来た時は嬉しかった。
うちの子達も、ちょうど私が二段ベットを買ってもらったくらいの年齢になりました。
どう?二段ベットにしない?
と聞くと、
「嫌だ。家族全員で川の字になって寝たい」
ですって。
ほんまかいな。
最近、川の字どころか寝相が悪すぎて『井』の字や『土』の字とかになってるんですけど・・
「二段ベットはまだいらない。中学生か高校生くらいで考える。」
ですと。
うーーん。
なんだろうね~~
本人の個性もあると思うのですが、やっぱり私の過ごした時とは全然違う特性?所作?になっている気がするのです。
うむ。
良いのか悪いのかは分かりません。
ただ、私がこれだけフルタイムでゴリゴリ出張もしたりできるのは、
確実に子ども達の協力によるものなのです。
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