二月の勝者ではなく、二月の敗者のお話。
このシリーズの最終回にさせて下さい。
【今までのおはなし】
二月の敗者である私の家庭教師だったS先輩のお話。
はじまりはじまり~~
しまった。間に合わなかった・・
届いた不合格通知を見て震える私。
そうです、現役時代、
見事に大学に落ちました。
滑り止めで受けた所は受かったのですが、行きたかった学部ではない。
親に頭を下げ、浪人させて欲しいとお願いしました。
両親は浪人は反対。
「だけど、あなたの人生、したいならしなさい。あと予備校に入りなさい。1人での浪人は辛いから。後で予備校代は全額返しなさいよ。」
という条件のもと、私は予備校の門をたたきました。
学力は十分に向上しているハズ。
昨年の夏には分からなかった英単語が、今ではいくつも分かります。
予備校の入校時に受けた学力診断テストは『トップ層』。
嘘だろ。
浪人生だから、現役生とのテストでは圧倒的にはじめは有利。
うん。はじめだけ。
とにかく、浪人を認めてくれた両親には感謝。
学力に関しては、S先輩にはありがとうございますしかない。
私は予備校に通いました。
予備校に通って、早々に気が付きます。
プロってスゲーー!!!
家庭教師の先生ももちろん良かったです。私にとってはS先輩は人生の恩師です。基礎学力の叩き込みは家庭教師が絶対的におススメ。
それが出来上がってからは、予備校の教え方や流れにも乗れるため、予備校に分がある気がします。
淡々と説き方と対策とノウハウを教えてくれます。
山登りの最短距離を教えてもらっているような状態。
休憩所がどこにあって、ゴールまでも後どれくらいで、足りない部分はどこか・・全部の傾向と対策を把握しています。
私は今まで、『勉強や受験ってひたすらやればいいか』と思っていましたが、
戦略と情報が大事
だと、まざまざと思い知らされました。
予備校は大学の最新情報をデータ化(当時はもっとアナログだったけど)して、チューターがアドバイスしてくれます(もちろん場所によっても違うと思いますが)。
勉強しながら情報まで調べられるか!という私みたいな不器用な人間は最適です。
今は、ネット社会なので何とかなる部分もあるかもしれませんが、当時は勉強の傍ら自分で調べるなんて時間がもったいない。
いや待て。
もしかすると今も、餅は餅屋に任せた方が良いかもしれません。
我が子が大学進学を目指す時、予備校は外せないかもなぁ~(基礎学力の定着後ですが)
さて、S先輩とは定期的に連絡を取っていました。
夏休はスポット的に家庭教師をしてもらいました。このお金はどこから発生したんだっけ?えーっと、忘れた。
S先輩も3回生になり、大学院に進むのか、就職するのか考えなくてはいけない時期です。
当時はバッチリ就職氷河期。
先輩に進路のことを聞くと、
「ワシ、恩返しがしたいんや」
と言っていました。
はい?何ですか?鶴ですか?
「ちゃうわ。ワシ、中学・高校・大学と公立で学ばせてもらって、税金を沢山使わせてもらったやん?」
まぁ、そうなんですかね。
「だから、国に恩返しがしたい。」
えっ、
きっしょ。
「きっしょって言うなや!まぁ、1回受けてみようと思って。」
あ~、公務員ですか。地方ってやつですか?
「違うで。」
えー他に何があるんですか?
「コクイチや」
コクイチ?
なんすか?それ。
コクのあるスープですか?
さすが私。無知の極み。
そりゃ浪人するわ。
そう、国家公務員一種。
当時は就職氷河期。バブルがはじけて10年ほど経ち、どこの企業も新入社員の採用を渋っていました。
公務員人気は当たり前に高かった。
そうなってくると、国家一種はレベル違い。
後に知りましたが合格発表はテレビで特集されるほど。
そんな所にサラッと受けに行った先生。
で、私も受けたことを忘れていました。
しばらくして・・
「受かったわ。国に恩返しするわ」
えっ、
きっしょ!!
「だからきっしょ言うなや~。でもな、大学院に行きたくなったから、国家一種の採用は待ってもらうことにした。」
ということで、S先輩は国家一種に受かりました。
合格者は大学院に進学する際に待ってくれる制度があるようです。
大学院進学後は就職活動をしなくてよく、研究に没頭されました。
しばらくして大学院を無事修了され、
東京に行ってしまうのでした。
ええ。
あの牛乳瓶の底のようなメガネをしながら。
私と先輩とはその後、年賀状で繋がっていました。
私の姉は生徒会繋がりで年に1回同窓会があるため、S先輩ともその後なんやかんやで仲良くしていました。
東京で数年働いた後、ヨーロッパのある国に派遣され、その後もどこか違う国へ。
日本に帰ってきて、ある合コンで彼女をゲットしたようです。
「国家公務員は、自分のような身なりでも一定の需要(女性ウケ)があるらしい。」
と言っていました。
さて。
先輩はその後、
ご結婚されました
東京のある有名なホテルで結婚式が開かれました。
中学時代の友人である姉は招待されました。私は会場と時間を聞いて、祝電を贈りました。
結婚式ではどんな来賓が来るんだろうか。
大学や大学院時代、官僚になってからのご友人?
姉も一緒に招待された友人たちとドキドキしていたそうです。
スピーチは誰がするんだろ?
今の上司かな?
って。
ですが、結婚式に行ってみると、そこは有名ホテルのこじんまりした会場だったそうです。
中学校の友人、生徒会のメンバーが来客の主。
高校の友達がチラホラ。
今の官僚の同期や関係者はほとんどいない。
スピーチは、
中学時代の生徒会の顧問の先生
S先輩は終始、にこやかに過ごされていたそうです。
後で、姉に、泣いたところとかなかったの?
と聞くと、
「あっ、ぽにが祝電を贈ったじゃん?」
うんうん。送った。
「あれが読まれた時だけ、
Sはハンカチ出して泣いてたよ。」
と。
弟子である私が今、企業でなんだかんだ技術系として働いていて、その礎を叩き込んでくれたのは先生だった感謝!という内容です。
そっか。電報出して良かった。
うん。
先輩、地元の中学で良かったね。
S先輩は二月の勝者にはなれず、
見事な敗者ではありましたが、
予定していなかった中学校で生涯の友となる出会いがありました。
人生は生まれてたかが10数年の中学受験で決まる訳ではありません。
二月の勝者も敗者も、
そこからどう生きるかが、大事なのです。
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