社長賞受賞関係のお話のつづき。
【今までのおはなし】
プロジェクトは順調そのもの。
期末発表の次は、
役員発表が待っていました
会社のビル中には、下っ端従業員が知る余地もない特別な部屋があることを役員発表会で初めて知りました。
要するに、
役員・社長が会議をする部屋。
そこは、完全密室になっていて、
もちろん窓はなく、音楽室のような独特の防音をしている耳が少しツンとするような空間でした。
機密情報を聴かれないための部屋なのでしょう。
そこで、待たされる3人の中堅社員。
その中の一人が私でした。
あと15分で役員発表が始まる。
社会人初めての社内における大きな発表会。
心臓が飛び出るくらいバクバク。
会社の最上層部メンバーと社長が、会場に入ってきました。
事前練習は何度もしました。
手直しもありました。
この手直しがなかなか独特で、ある役員が積極的に関わってくれたのですが、
- 字は極力大きく
- オシャレ感はいらない
- 情報は端的に
- 専門的な内容は割愛
というアドバイスを受けました。
参加者の平均年齢は60歳オーバー。
皆、時間も限られているため、
プレゼン資料のまとめ用紙もA4 に1枚で、パッと分かる情報(文字大きめ)を求められました。
当時の私は、プレゼンをちょっと『こなれた、オシャレな感じ』に仕上げていましたが、
「その雰囲気、全く要らない」とバッサリ切り捨てられました。
研究畑の人がする学会発表とも全く違う切り口が求められました。
面食らいましたが、
この経験は今でも役に立っています。
後に役員発表をするたび(まぁそんなに頻度はありませんが)、
上記のアドバイスを大いに参考にしています。
さて、緊張した役員発表。
大好評に終わりました
発表後、
意味のあるプロジェクトで、
これをしないと世界との競争に負けるかもしれない・・
と言ってくれる役員もいました。
プロジェクトは次年の続投も決まり、リーダーにも労いの言葉を頂きました。
そのウワサはちゃーんと『ギラギラ系幹部候補』が流してくれ(なんせ、彼らが監査役をしたから成功したと言いたいのですよ)、
「今、乗ってるね!」
「頑張り時だね」
「社長賞もらえるかもよ」
いろんな人からそう声をかけられるようになりました。
ずっと日陰にいた自分が、
社内で徐々に光が当たり始めているのが分かりました。
より、期待に応えないと!
頑張りたい!
やりがいも感じましたし、
こんな大きなプロジェクトを担当するのは私の人生で最後だろうとも思っていました。
気が付くと、
時は、2019年度。
そう、
私の年齢は、40代に突入。
子供は2人。年長と年小。
周囲には、
「ぽにさんは子供は2人でおしまい」
ガンガン働いてるからね~と思われていました。
でも、
3人の子供が欲しい
という願望が自分の中で全く消えませんでした。
これは人生の最上位にいる願いであり、夢でもありました。
一方で、今回のプロジェクトがチャンスそのものなのも分かっていました。
会社によって違うとは思いますが、
技術系の社員って、1回付いたイメージがなかなか消えません。
例えば、
あの人はアメリカでポスドクして、結構な成績を納めたけど、うちの会社に入った。
国内大学で研究し、ネイチャー・サイエンス(世界的有名雑誌)のファーストオーサー(一番に名前が載る人)になったこともある人が研究員としてやってきた。
入社した時点で、
すごーい!
というイメージがあるため、1軍並みのテーマが与えられたり、
花形チームに入れてもらえたりします。
入社の時、何も引っさげないで入った私は、全く逆の立場。
二番煎じ以下のテーマしか渡されず、どれだけ良い結果を残したとしても、評価は平凡。
次に渡されるテーマもアレレ。
そもそも貢献度の高い分野やチームに配属されていない。
どうしても『2・3流分野』のテーマでグルグルする。
しかし、今回のプロジェクトリーダーで一定の評価を立て続けに出せば、
「おっ!こいつやるやん!」
という目で見られ、
底辺ループから抜けられるかもしれない
肌感としても、
やっときたバッターボックス。
今までいつ呼ばれても良いように、素振りもしていたし、練習も重ねてきました。誰も知らんと思うけど。
ここぞ!という打席がやっと回ってきた。
言いたくないが、
妊娠している場合ではない。
でも、もう、
40代になる
産むのならば、今だ。
でも、チャンスも今だ。
どうするんだ?私?
つづき~のクリック頂けると嬉しいです。